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ちょっと一息

2020年4月3日

新型コロナウィルスで、毎日緊張した日々を過ごし、ついついコロナウィルスに関したテレビなどを見てしまう。

重苦しい気持ちでの生活だが、私達に出来ることは、専門家が言っているように、不要な外出をしないで、手洗い、うがい、マスクなどを粛々としてゆくことが一番だ。

こんな時だからこそ、ちょっと心温まる新聞記事をご紹介しましょう。

 

 

朝日新聞の「ひととき」欄の、高田 聡美さんの事である。

 

『社会学者の上野千鶴子さんが、テレビで「亡くなった人も成長する」と言われた。その言葉に首をかしげたが、まさに亡き父のことではないかと思った。

父は生前「飲んだくれ」で家庭のことは省みず、私の誕生日やクリスマスなどに、一緒に楽しんだ覚えがない。飲んで帰る時は人を連れて来て、また家で飲み、母や義姉に迷惑をかけることが度々あった。しかし、父が亡くなってから、私にとってただの「飲んだくれ」ではなくなった。

私が幼いころ、父は仕事帰りに飲み過ぎて、翌日、二日酔いで起きられなかった。仕事を休むことでばつが悪かったのか、よく絵本を読み聞かせてくれた。私が今でも本が好きなのは、この時の父のおかげだ。

出来の良い亡き兄と違い、出来の悪い私がどんなに悪い点をとっても「よかよか、気にすることはないか」と、さらに「俺が死んだらいつもお前のそばにいるから大丈夫」と言っていた。その時はうっとうしいと思ったが、何度見えない父にたすけられたことか。私が今まで何とか生きて来れたのは、父がいたからかもしれない。

私にとって父は今も成長している。』

 

 

自分の親から認められ、可愛がられていると感じて育てられた人は、自分を肯定的に捉える事が出来る。生きている時にそれが出来れば幸せな人生だ。

しかし、親が生きている時はそう思えなくても、親が亡くなった後、そう思えたら、それもまた幸せな人生だ。時々そういった話を聞くことがある。親の死に際に、いかに自分の事を思ってくれていたかが分かり、それからの日々は幸せな人生に思えた、という話など。

 

 

 

そして「亡くなった人も成長する」のと同時に、「亡くなった人が成長した」と思えた人も側も、大きく成長し、心が広がり、穏やかな日々が送れるのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

娘の難病で。。。自分が強くなった

2020年3月8日

NHKの番組 「ガイロク」で素敵な女性を見た。

 

ウクライナから来日した女性が話して下さった話。

来日して結婚。娘さんが生まれて、8か月の子どもが座らない、玩具がつかめない、お母さんが拍手しても映画を見せても反応しない。おかしいと心配になり、小児科を受診。詳しい検査を受け、アンジェルマン症候群とと判明した。

「アンジェルマン症候群とは、重度の精神発達の遅れ、てんかん、失調性障害、容易に引き起こされる笑い、などの行動が特徴 」

 

彼女は非常にショックを受けたが、そこから、子どもがいるから暗い顔を子供に見せる訳いかないと自分の気持ちを心の中にしまい、頑張るしかないと、自分で調べて、障害のある子どもを支援する施設にたどり着いた。そこで様々なアドバイスを受け、娘さんの変化に気づくようになり、自分と娘さんが通じていることが分かり、それが彼女の支えになった。

この間、娘さんと一緒に乗り越えた事がたくさんある。娘さんの笑顔を見ていると、自分も笑うしかないと、笑って。娘さんは病気で無意識で笑う。どんなに苦しくても笑うとちょっと楽になる、大丈夫だと思えると。

 

娘さんは7歳になった。今は娘さんが立つようになることが目的だという。

 

 

今彼女が思うことは、前より自分は強くなった、自分を好きになった、自分の心の半分が娘だから、娘を好きになって、娘の目を通して世界を見て自分を好きになった、自分を好きになると周りの人も好きになった、気持ちが落ち着いた、自分が強くなった、もう問題ないということ。

そう語るその女性は非常に落ち着いて優しい目をして、こちらに安心感を与えてくれた。外国で(離婚して)1人、障害のある子どもを育て、こまでくる道のりがどんなに大変だったか、想像に余りあるものがある。その大変さを乗り越えて来られた自信が感じられた。

 

 

 

元々のその女性の持っていた強さももちろんあるだろ。それは絶対欠かせない。困難を乗り越える力があった。そして、更に力を与えてくれたのが、障害を持つ娘さんだった。娘さんの笑顔がどんなに救ってくれたことか。

 

 

 

自分が好き、ということがどんなに大切なことか。改めて再確認した。自分が好きは、自分の肯定。

せめて今すぐにでも出来ることは、笑うこと。本心でなくても笑顔を作る事だけで効果があると言われている。

簡単ではないかもしれないがやってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒト型ロボット オリヒメ

2020年2月11日

今世界中に、新型コロナウイルス肺炎が流行している。知らず知らずに緊張を強いられる毎日だが、1日も早く収束することを願っている。

 

 

 

NHKテレビ「逆転人生」、ロボットコミュニケーターの吉藤健太朗さんを観た。

吉藤さんは今、アメリカの経済誌で、田中将大さんや、錦織圭さんと並ぶアジアを代表する若きリーダーにも選ばれる注目される科学者だ。

 

吉藤さんは人とのコミュニケーションが苦手で、少年時代には人づきあいに悩み、3年半引きこもりをした。この世に居場所がない、社会のお荷物と感じていたという。

しかし吉藤さんは、幼いころから折り紙が得意で、科学的な視点で折り紙を折っていた。

3年半の絶望の日々の中で、支えだったのが折り紙。部屋にこもって1日15時間、折り紙を折っていたという。

そこからいろいろあり、ロボットに興味を持つ。その道のりで、人工知能を使って雑談が出来るロボット、孤独をなくすロボットを作ろうと考えた。しかし、それは壁にぶち当たる。

そしてさらにいろいろな経験を経て、人と人を結び、お互いが、まるでいつも繋がっているかのようなロボットの開発を目指した。出来上がったのは人工知能を使っていないオリヒメだ。

オリヒメは、最初は周囲の評判が悪かった。

 

私もテレビで何度か見た事があり、人間のコミュニケーションをロボットが出来るのかなと半信半疑だった。

 

しかしオリヒメを理解してその価値を認めてくれた仲間の助けを得て、起業し、今では世界中の人と人をつなぐ手助けをしている。

 

実際に使った人は、オリヒメとコミュニケーションしているのでなく、オリヒメを介して、相手の人がそこにいるかのように感じてコミュニケーションしていると感じられるようだ。

 

 

吉藤さんのことばで印象的だったのが、

「情報も大事だが、人がいるという価値。人工知能を止めたきっかけは、人生を変えるきっかけは人がもたらす人との出会い、そういったことへの憧れ、それが失われると何も出来なくなってしまう」と言っていたこと。人工知能を使うと人工知能と繋がることになり、人との繋がりではなくなってしまうということらしい。人とのつながりが無かった吉藤さんのことばの重みを感じる。

 

 

 

人は人によって自分を認められ、いることを喜んでもらえる、そのことが生きる喜びを感じ、自分の人生を肯定できる、それが人間の本質だと強く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

町田康 しらふで生きる を読んだ

2020年1月21日

小説家 町田康氏の、「しらふで生きる」を読んだ。

 

町田氏が、芥川賞作家である事は知っていたが、これまで町田氏の本を読んだことはなく、また町田氏が30年もに渡り1日も欠かさず酒を飲み続けていたということも知らなった。

 

その町田氏が、平成27年の12月に、突然酒を飲むのを止めようという考えが起こり、その日から飲酒を止めたそうだ。全くの突然に止めようという考えが起こり、その日から一滴も飲んでいないそう。酒を止めた事でいいこともあり、今は酒の事を考えることがほとんど無い、とのこと。

 

本の前半は、なぜ突然止める気になったのか、納得できる理由を探ることにかなりのエネルギーを割いている。

 

心理学的に説明すれば、突然止めようと思う気持ちがなぜ沸き起こったか、説明できないことはない。しかし私が感じたのはその事ではない。

 

 

町田氏は最後に、酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しいと言っている。

酒を飲んでいた時の濃密な人間関係が次第にあっさりしたものになっていく。

同時に、今まで感じなかった意外な喜びがあり、草が生えたとか、雨の匂い、人のふとした表情の中にある愛や哀しみといった小さなものを感じるようになった。急いで通り過ぎると見落とし、見過ごすようなもの。けれどもそれこそが幸福であるということをやっと知ったのであった、とある。

 

 

 

つい最近見た、悟りの話とよく似ている。

修行を重ねたずっとその先に悟りはあると思っていたが、気が付いたら自分の足元にあった、というものである。

 

 

幸福や悟りということを少し思い違いしていると、違うものを追い求めてしまうのかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

動物との愛着

2020年1月13日

先日、NHKテレビで、しろくまピース20歳 ~家族と歩んだ”いのち”の軌跡~

という番組を見た。

 

ピースが生まれたのは、1992年12月2日、体重僅か680gだった。動物園で育った母親のバリーバは子育ての仕方が分からなかった。

そこで母親の代わりを担うことになったのは、髙市敦広さんだった。

髙市さんは、ピースが飲めるミルクを見つけるところから始め、24時間付きっきりで、昼間は動物園で、夜は家に連れて帰り、奥様と、小さい子ども2人との生活が始まった。

家じゅうが、それはそれは大事に、奥様も、子ども達も本当に人間の家族のように世話をしたり遊んだりして育てた。ピースはそんな家族の元ですくすくと成長した。

そしてピースは母熊に甘えるときに出す、ささ鳴きをするようになった。家族の愛情を受け入れ、安心したしぐさを見せるようになった。

109日目。ピースの体重も15KGを超え、荒々しさも出て来て、家に連れて帰ることの限界を感じるようになった髙市さんは、家に連れ帰らないことを決心した。動物園にピースを置いて髙市さんが帰ろうとすると、ピースは部屋に入ろうとすることを嫌がり、夜通し声が枯れ続けるまで髙市さんを呼び続けたという。

それからも苦労は多々あったが、無事20年経ち、ピースは20歳になった。

ピースは今でも髙市さんを見ると寄って来て甘える。声と臭いで髙市さんと分かるとのこと。髙市さんも、今も檻の中と外でも気持ちは繋がっている感じだという。

 

見ていて本当に、人と動物の枠を超えて、心がしっかりつながっていると感じたし、誰の目にも明らかだろう。

 

 

それに対し、旭川動物園の園長の、坂東元さんが、NHKテレビのスイッチ・インタビューでおっしゃっていたこと。

ヒグマの子が事故に遭って、動物園に収容されて来た。ヒグマはまだ小さく、人間にしたら幼稚園児くらいか?しかしヒグマは絶対に人になつかない。餌を与えてもこちらをじっと見続け、見ていない時に食べるが、人こちらが見ている間は絶対食べない。1回も気を許さない。多分、ずっと見続けたら死ぬまで食べない。他の生き物に頼ろうとしない野生の生き物の本質、とのことだった。

 

 

ヒグマ子としろくまの子。

これは恐らく、熊の種類による差ではないと思われる。収容されたヒグマは、人間で言ったら幼稚園児くらいまで、野生の母熊に育てられた。一方、しろくまのピースは、生まれた瞬間から、髙市さんたち、人間に育てられた。

ヒグマの子は野生の母熊との間で愛着が育ち、野生を身に付けた。ピースは髙市さんに育てられ、髙市さんとの間に愛着が育った。ヒグマの子は人間との間に愛着は育たないし、ピースは野生を身に付けられない。

 

0歳から臨界期までの間に、誰にどう育てられたかが、決定的な要因だと思う。

 

 

人にも愛着が育つまでの臨界期がある。愛着が育つまでの間の育てられ方は、育てられた本人の知らないところで、その人の人生を決めているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

多様性

2020年1月4日

2020年が始まり、新しい年となった。

1日の新聞に、生物学者の福岡伸一さんと、保育士ライターのブレディーみかこさんの対談が載っている。その対談は、「多様性って何だ   誰も否定されないこと」。

 

対談の中で印象深かったことは、福岡伸一さんの生物の多様性についての話だ。

 

 

一般には、「生物多様性」は、ライオンとか象といった数多くの「種」が存しているこ示しているが、実はひとつの種の中に多様性が存在することも、その種が生き残るために不可欠である。何百万年といった生物界の長い時間軸の中では、いつ突然、環境が激変するかわからない。そのとき、ひ弱そうな個体の方が生き延びるかもしれない。種が生き延びるためには、個体のバリエーションが豊富な方がいいという多様性が必要。

アリには必ず2割程度、忙しいふりをしてサボっている個体がいて、この2割を取り除くと、残りの勤勉なアリの2割がまたサボりだす。何故なのかはいろいろな説があるがよく分からない。平たく言えば「変わり者」を多く内包している社会の方が実は強靭だと示唆してくれている。

 

生物学における多様性は、何百万年、何億年単位の話で、人間社会の多様性に目を戻すと時間の射程が短すぎると感じる。「多様な人材でイノベーションを」といいながら、結局は効率的に売り上げを最大化しているだけで、自分の利益のことしか考えていない。

真の多様性とは違う者の共存を受け入れるという、言わば利他的な概念である。

 

 

私が一番感動したのは、次の記述だ。

 

 

食うか食われるかの生物の世界にも、利他的な関係性が見える。植物は自らが必要とする以上に葉を作って光合成をし、その落ち葉で微生物が増え、葉や木の実を食べて虫や鳥は命をつなぐ。もし植物が自己の必要量しか光合成をしなかったら、他の生物は存在できない。

 

 

 

 

世界に目を転じると、「公正さ・公平さ」より自国ファーストといった考えが席巻しているように感じる。とても多様性とは言えないが、数十年前には考えられなかった急激な世界中の交流が増え、転換期で混乱しているのかもしれない。宇宙の長い時間で考えると、今はそういった流れはほんの一瞬のことかもしれない。

しかし、そうはいってもその中で私達は生きて行かなければならない。

1人1人をみると、自分の利益優先の流れの中で競争にさらされ、その流れと自分の流れが合わずに、生きづらさを抱えている人もいるように感じる。そういうときはどう生きるか。

その流れでなくてもいいと思えれば幸せかもしれない。それが多様性につながるのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

忘れられない言葉

2019年12月29日

テレビで、タレントの、つるの剛士さんが言っていた。

「昔から、両親から『おまえはパパとママの子どもなんだから大丈夫』と言われ続けていたの。それってなんの根拠もない言葉で無責任なんだけど、子どもってすごく安心するの。すごく今も助かってる。だから自分も子どもに同じことを言うの。自分のお尻を叩く意味でも」と。

 

何の根拠もない言葉ではなく、子どもにとっては親に認められるのは、自分の承認そのものだ。特に幼い子どもにとっては親が世界そのものだから、その親に大丈夫と言ってもらうことは、世界中から承認されることだ。

反対に、親にいつもお前はダメだ、ダメだと言い続けられていたら、生涯、自分はダメだという思いを持ち続けるに違いない。

 

子どもに大丈夫!と言い続けたいものだ。

なぜ子供に大丈夫と言えないかは、それなりの理由があることもある。その時はそれを考えるきっかけになるので考えればよいことになる。

 

 

 

 

 

 

バスの運転手さん

2019年12月22日

夜遅く、帰りのバスに乗ったところ、親切な運転手さんの運転するバスだった。

 

発車すると運転手さんは、「運転手は〇〇です」と自分の名前を自己紹介。まるで飛行機のパイロットのよう。初めての経験だ。へえ~、とちょっとびっくり。

とても丁寧な運転。そして停留所に着くと、「今日も遅くまでお疲れ様でした。ご乗車ありがとうございました」と。

ずいぶん丁寧な運転手さんだなと思っていると、運転手さんが下りるお客さんに、

「後ろから自転車が来ます。お気を付け下さい」と呼び掛けている。

運転手さんが本当にお客さんを気遣って声をかけておられるのが伝わって来た。

 

私の降りる停留所でも、「今日もお疲れ様でした。ご乗車ありがとうございました」と声をかけて下さった。

バスを降りて家に着くまで、何だか少しウキウキする気持ちになったひとときだった。

 

 

 

 

 

NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

2019年12月15日

NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 「人気テーマパーク復活の仕掛人」 を見た。

キティちゃんで知られる、サンリオ ピューロランドの経営を、5年でV字回復に導き、今年運営会社社長に着任した、小巻亜矢さんだ。

 

就任して、それまでのターゲットが小学生の子ども連れの家族だったものを、がらりと10代後半から20代の女性に切り替えたことが功を奏した。社員全員と面談し、意見を聞き出し、皆が大人をターゲットにしたいと言うことを踏まえ、社員のやる気を引き出してのことだ。本当に社員がイキイキとしている。

そしてそれをやり遂げたのは、キャラクター1つ1つに対する愛情や、おみやげグッズにも隅ずみまで目を届かせておろそかにしない、きめ細かい気の配りようの、小巻さんの経営手段だ。

 

 

小巻さんは実に人の使い方が上手だ。

 

小巻さんは、1人1人に注目し、全ての、その月の誕生日の社員全員と会い、仕事や趣味、将来の夢などを聞く。

そして次のように語っている。

 

会社は社員だと思っている、人は感情の束で出来ている。人の本質は感情がどういう時に揺れるかだと思っていて、どういうことを感じる人が集まっているのかを分かっているうえで、これは誰にやってもらおうとか、こういう文言を使って何かを伝えようと思っていると。

また、経営者の役割はその人を知り、可能性を信じ花開かせること。些細なことでも全力で褒め、自信を付けさせる。

なるべく褒めて、頑張ったねと、承認のメッセージを伝えることが大前提。稼ぐことも大事。同時に、稼ぐことが思ったほどがうまくいかなかったとしても、関わって良かったという居場所であるということも同じくらい価値がある、そこからどんなことに気づいたか、と。

 

 

信じて、支えて、伸ばす。

そして、大丈夫、大丈夫と言い続ける。失敗したら私が責任を取ればいいんだからと。

 

社員は、小巻さんが1人1人を見てくれてるんだ、それだけで嬉しいと言い、じゃあ、次こうしようと前向きになれると言っている。

 

 

 

 

見て改めで思ったのは、人は褒められて、認められて育つということ。

大丈夫!と背中を押してもらうことがどんなに安心し、力を発揮できるかということ。

 

当たり前のこととして知っていることだが、実際に行動するのは難しい。私達の回りではそれと反対のことも多い。

 

ここまで小巻さんは順風満帆に来られたわけではなく、お子さんを亡くされるなど非常な苦労されたが、その分余計に人を信じることを大切にしておられるのが分かった。

そして、何より、小巻さんご自身がご自分を信じているから人を信じられると、ひしひしと感じた。

 

 

 

 

 

NHK 「僕が性別 ”ゼロ” になった理由」

2019年11月24日

NHKBS1の「僕が性別 ”ゼロ” になった理由」を見た。

女性として生まれた心の性別が男性であるトランスジェンダーの小林空雅(たかまさ)さんを、15歳から9年間追ったドキュメンタリーだ。

中学時代に男子生徒として登校することを学校に認めさせ、男子生徒として過ごした。20歳になると、子宮と卵巣を取り除く性別適合手術を受け、戸籍上も「男性」になる。だが、小林さんは今度は男性であることに違和感を持ち始める。そんな中、小林さんの生き方に影響を与える人と出会い、更に「自分は男性でも女性でもない」と、名前も小林このみさんと変え、それが一番自分らしい生き方だと、それまでとは違った人生を歩み始める。

 

 

 

私が今回番組を見て驚いたのは、トランスジェンダーのことではない。少し別の視点である。

番組の、9年間の中でNHKは何度か同じ質問を小林さんにしている。

 

_________「今の自分は好きですか?」_______

 

それに対し、小林さんは、

中学生の時は「好きかと聞かれるとそうでもない気がするけど、楽しく生活できてるからいいなじゃないかなって。体のこととかもあるしその辺は好きになれないけど、中身としては許せるかなぐらい」

高校生の時は「もともと好きとは言えなかったけど許してやろうかな」と答えていた。

 

それが今回、現在の小林さんは

「今の自分は好きですね。世界で一番好きな人は自分なので」と答えていた。

ここまで来るまでには、大変な苦労をされている。2度の手術やホルモン注射、生涯に亘っての注射の必要性。生活をしていく上で男性、女性の枠がある世界の中で、枠に入れず生きてく手段も手に入れずらい環境であるなどなど、上げればきりがないほどの大変さを抱えている。

しかし、自分の感じている自分に嘘をつかない、ということが素直に自分が好き、と言えていることが大きいのかな、と感じた。

それとともに、そういう小林さんを受け入れてくれている人間関係も小林さんを支えてくれているように感じた。

 

今の小林さんはまだ途中経過で、今後また変わっていくかもしれない。しかし、根本的に、自分を好きと思える小林さんは困難を乗り切って行かれるだろうと思った。そんな小林さんに心から頑張れ!と応援したい気持ちでいっぱいだ。

 

 

小林さんの話を聞き、人間の悩みの根底を問われる思いをした。

 

いろんな方のお話をお聴きしている中で、自分を好きになれない、自分はダメだと思って苦しんでいる方は結構いらっしゃる。性別は大きな自分自身のアイデンティティーに関係することは間違いない。しかし、それさえも超えて自分を好きと思えるのは、人の本質そのものを問われているように思う。

 

自分自身に対し、好きと思え、自信を持てたら生きて行くのは楽だろう。