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2019年9月3日
黒川伊保子さんの本『成熟脳』の中で、「人工知能に、人は負けるのか」と問うている。
人工知能の発展は目覚ましい。チェス、将棋、囲碁の勝負ではいずれも人工知能が勝っている。
日々報道される中で、将来、人の仕事を人工知能に取られてしまうのではないか、ということも言われる。現に、既に機械化された職種もいくつもあるように聞く。これから人工知能が人間に取って代わってやって行く仕事がいくつも出てくるに違いない。そういう報道を耳にすると、大丈夫なのか、人間はやることが無くなってしまうのではと不安にもなる。
しかし、黒川伊保子さんは、人のすることは決して減ることはないと言っている。
例えば、家事ロボットが家庭に入ってきても、主婦の仕事は無くならないという。なぜなら、主婦の仕事の一番大事なことは「家族を案じ、するべきことを決する」ことだから、と言うのだ。
洗濯をするのは洗濯機でも、なにをどのタイミングでどう洗うかは愛情が決める。・・・たぶん、人工知能と共棲するする時代に、人がすることは、案じたり察したり発見したりすることに集約されるのでは。だとしたら人間の価値が変わってくるに違いない。すくなくとも、偏差値信仰は消えてなくなるのではと言っている。
確かに人工知能は自分で学習しながら進化していくが、プログラムを必要とする。人間のように、「案じたり察したり発見したり」は難しいのかもしれない。
そして、「動的平衡」で知られている、福岡伸一さんは、やはり人工知能は人間を追い越すことはないと言っておられる。人間は自らの細胞を壊して、新たな創造をしている。生命の本質と、人工知能とは全く違うものなのだと。
専門家のこういった意見を聞くとホッとする。人間は人間として存在し続けることができるのだと。
それにしても、科学が発展すると、思いもかけなかったことが出てくる。そして同時に人間の本質は何かとの問いは、いつの世も難しいらしい。
2019年8月25日
先日、元中国大使の宮本雄二さんが、現在の日本の国際状況について語りながら、危機5原則について話しておられた。
宮本さんは中国との外交現場では、さぞ大変な難問を抱え、ご苦労して来られたのだろう。
歴史的に見てもどうにもならないような難問を解決しなければならない時もあったことだと思う。そういった難しい問題に直面して、宮本さんが心がけておられたことは、
あ、い、う、え、お 、の原則だそうだ。
あ:慌てない。ジタバタしない。
い:怒らない。
う:売り言葉、買い言葉に陥らない。走り過ぎない。
え:遠望する。遠目で、大所高所で見る。
お:落としどころを、お互いに考える。
難問を解決して来られたプロだからこその重みがある。
そしてこれは、外交の場だけでなく日常の私達の問題解決にも当てはまりそうだ。
つい問題にぶつかると、慌てたり、怒ったり、相手のせいにしたり、目の前の事だけを何とかしようとしたり、相手が変わらなければだめ、と思ったり・・・なかなかこじれてしまう事もある。
言うは易しだが、行うは難し、だ。簡単にはできないからこじれてしまうのだろうが。
しかし、頭の片隅に置いておき、ふと振り返って、あ、い、う、え、お
と考えてみるのは大事なことかもしれない。
2019年8月16日
8月15日。終戦記念日。
毎年、終戦記念日を迎える前後、メディアで戦争に関する様々なことが取り上げられる。
今年もまたいろいろな番組が取り上げられた。
これまで発見されなかった資料が新たに発見され、またこれまで言われていたのとは違う面が見え、更に深く理解することができた面がある。
観ていて、メディアや人の影響で、人はこうも簡単に考えが変わるものなのかと恐ろしくもなった。戦争へと国民の気持ちがなだれ込んでいく、こういったことが怖かった。
齢を重ねて、思いも深くなる。そんなに贅沢をしなくても、日々の生活が穏やかに過ごせればいいだけなのに。
ただただ単純に、戦争はもう2度と起きてほしくない。日本も他の国でも。それだけだ。
2019年8月5日
NHKスペシャル「香川照之の 昆虫”やばいぜ!”」を見た。
小さい頃から昆虫が大好きな香川照之が、コスタリカに大好きな昆虫を探しに行く番組だ。
コスタリカの国の大きさは、日本の 1/7 位しかなく、日本の四国と九州を合わせた位の面積だそう。その小さな面積のコスタリカの熱帯の森に、日本の何十倍、何百倍という種類の虫がいるという。
香川照之は日本では見られない、昆虫好きなら皆があこがれる、スペシャルな虫達、モルフォチョウ、マルムネカマキリ、巨大カブト、スカシアダラ、プラチナコガネ、ナナフシを見つけたいと熱帯の森に向かった。
短い滞在期間で、あっという間に何種類もの昆虫を見つけた。
予定にはなかった、まるで苔のように擬態しているツユムシの仲間や、ナンベイマルムネカマキリ、ヘレノール・モルフォチョウ、カミキリムシ、プラチナコガネ、シルバーのプラチナコガネ、エレファスゾウカブトを次々に見つけることができた。
日本にいるカブトムシは8種類ほどだが、コスタリカには100種類のカブトムシがいるという。
驚くことに、見つけた巨大カブトムシが、1本の木に10匹も群がっている。何とも異様だ。
カブトムシはマメ科の木の樹液を食べている。元々その周辺にはマメ科の木がたくさんあったのだが、
人が開拓してマメ科の木を伐り、バナナに植え替えてしまったため、残り少ないマメ科の木に群がっているのだという。
今地球上の昆虫の生態が確実に変わっている。
変わっているのはコスタリカだけではない。世界中で異変が起きている。
話は進み、ドイツのミュンヘン州立 動物収集研究所では長年にわたり、蝶の標本が保管されている。そこで保管されている蝶の中で、何種類もの蝶が絶滅しているという。バイエルン州では3295種いた蝶の11%が姿を消してしまったとのこと。
蝶だけではなく、ドイツ国内で昆虫全体減少しているという。
1994年の7月の2週間で集めた虫の量はが、2016年の同じ7月の2週間に集めた量では1/3ほどになっている。27年間で、飛ぶ虫の量は76%減少しているそうだ。絶滅危惧種だけでなく、どこにでもいる虫の量までとても減っているのだ。
更に、昆虫の減少が世界中から報告されていることが分かってきたという。
日本でも、地域によってアキアカネが99%減少。
昆虫の減少にはいくつかの原因が考えられている。
1.大規模農業は昆虫の住みかを奪う。
2.農薬の使用。
3.都市化。
4.地球の温暖化など、様々な要素が絡み合っている。
そして今年1月、世界中の昆虫減少の論文を検証した、シドニー大学の研究者が驚きの数字を導き出した。
地球上の昆虫はここ30年で毎年2.5%ずつ減少し続けていて、100年後には、今の昆虫の1%未満しか残らないかもしれないという。このままでは危機的状況、
「昆虫カタストロフィ」に陥る可能性があるという。
昆虫は、食物連鎖のすべての土台であり、この世のすべての生物を回す回し屋である。
昆虫がいなくなると地球上の生き物は回転しなくなり、動物も植物も、全ての生物の生存が難しくなり、昆虫がいない世界では人間は大混乱に陥るという。それが「昆虫カタストロフィ」だ。
人間はそれに気づかず、人間の欲望を追求した結果、越してはいけないラインを超えてしまったのかもしれない。昆虫のカタストロフィは、ゆくゆくは人類のカタストロフィに繋がることになる。
今昆虫は危機にさらされている。昆虫は地球上に誕生し、4億年の歴史を持つ。これまで地球上の様々な生き物が絶滅してきた大ピンチを、何度も生き抜いてきた。その逞しい生命力を教えてくれるのが、オオカバマダラという渡り蝶だ。オオカママダラは、アメリカ北部とメキシコを渡り歩いている。環境の変化により、より長い距離を飛ばなくてはいけなくなったオオカバマダラは翅を大きく進化させているという。何としても生き延びようという戦略だ。
希望でもある。
私達人類は、地球上の生き物がカタストロフィーに陥らないために、どこから手を付けて行ったらいいのだろうか。
2019年7月28日
今日の朝日新聞「窓」欄に、北九州市にある動物園で、チンパンジーのキララが、昨年暮れに生まれた子どものキンジを抱っこしている写真が載っている。
キララは人の手によって育てられ、初めて出産した14年前は赤ちゃんを放りだしてしまったと飼育員は聞き、今度は大丈夫だろうかと心配していた。
そんな心配をよそに、昨年暮れ、キララはキンジを出産。すぐに赤ちゃんを抱っこし、3日目にはおっぱいを吸う音がおりの外まで響いた。
生活が落ち着いた2月、お母さんのキララの双子の姉妹、クララも一緒に暮らし始めた。母子が群れでの生活に戻るための準備だった。姉妹はもともと仲が良く、クララは母子に寄り添い、まもなく一緒に寝転がる姿もみられた。
異変が起きたのは5月下旬のこと。朝、飼育員がおりをのぞくと、妹のクララがキンジを抱っこしていた。母のキララはその周囲を行ったり来たりするばかりだった。
母でないクララは乳房に手を伸ばすキンジの手を払いのけてしまう。そのたびにキンジは金切り声を上げた。クララは乳が出なかった。
クララは昨年夏、生後6か月の子を亡くしていた。
飼育員たちはクララに鎮静剤を飲ませて引き離そうとするなど手を尽くしたが、クララは手を離そうとはしなかった。
キンジの鳴き声は次第に小さくなっていった。
母子が再び一緒になれたのは、4日が過ぎてからだった。
母親のキララはキンジを胸に抱き寄せた。顔、手、おなか、背中、我が子のからだに手を添え、時には唇を寄せて、毛づくろいをしてあげた。
胸に抱かれたキンジの手足は、母親のおなかをつかむことなく垂れ下がったまま、二度と動くことはなかった。
何とも切ない話だ。
キララも、クララもどちらも、こころ優しい「お母さん」だ。
それにしてもキンジは、キララと、クララの、両方から愛されながら、最悪の結果になってしまった。
本当に悲しい。
2019年7月26日
小説 透明なゆりかご を読んだ。
昨年放送されたNHKのドラマを小説にしたものだ。
ドラマの放送時から見ていてとても感動していたが、小説でも読み始めると止まらず、一気に読み終えた。
由比産婦人科で、看護助手の高校生、青田アオイがアルバイトを通して成長していく物語だ。青田アオイの目を通して物語は語られ、1人ひとりの、その瞬間の人生、生き方、人のつながりが描かれていく。患者さんだけでなく、他の登場人物も、全員が生身の悩みを持った人として。生まれたばかりで亡くなってしまった子供の棺桶を持って来てくれるおじさんも、こういう人なんだろうと思わせてくれる。
中の物語は、目を背けたくなるようなことも多くあり、けっしてハッピーエンドな内容ばかりではない。悲しみ、怒り、やりきれなさもあり、社会への理不尽さも感じる。それでも人って愛おしいと思い、喜びも、感動も大きい。
登場人物はどれも魅力的だ。どの人をとっても、こういう人に看護して欲しいと思わせてもらった。主人公の青田アオイの素直な感性がとても愛おしい。きっと一緒にいたら優しい気持ちになるだろうと思わせてくれる。
ドラマの時から魅かれていたのが院長の由比朋寛だ。
冷静沈着に、しかもとても温かく、時には熱く。しかもいつも主人公は自分と思わせてくれる。こんな先生がいると分かったら、診て欲しいと安心出来る先生だ。
読み終わって、一言では言えない深い余韻が続いてる。
2019年7月15日
今年もウィンブルドンの大会が終わった。
最後の男子シングル決勝は、本当に見ごたえがあった。
世界ランク1位のジョコビッチと、2位のェデラーとの対戦で、試合時間が4時間57分とこれまでで最長の決勝、どちらが勝ってもおかしくない試合だった。
ウィンブルドンの決勝にふさわしい、素晴らしい技が随所に見られ、最後の最後まで手に汗を握る試合だった。
テニスを見ていていつも感じるのは、精神力の強さだ。今回も、2人にその精神力の強さを感じる連続だった。コート上では、どんな危機的な状況の時でも、自分1人で切り抜けなければならない。この1点を失ったら、試合はどうなっていたか分からないという場面を持ち堪え、次につなげた場面が、双方に、何度も見られた。少し弱気になったら、持ち堪えられないのではないだろうか。
テニスだけでなくどんな世界にも通じるが、技術的には勝っていても、その力を十分に発揮できる精神力を持っていないと、持っている力を出し切れない事はよくある事だ。
むしろこういった大会では、自分でも思いがけない力を発揮できたという経験を積み、更に精神的に大きくなる。そしてその裏打ちで技術的にも成長する。
今回、ジュニア男子シングルで、日本の16歳の、望月慎太郎が初優勝した。彼にも、精神力の強さを感じた。また新しいスターの誕生だ。今後の活躍が楽しみである。
2019年7月7日
ザ・インタビューという番組の、坂東眞理子さんへのインタビューを見た。
坂東眞理子さんは現在、昭和女子大学理事長・総長をされている。
これまでの経歴は、まだ女子が大学に行くのも珍しい時代に東大を卒業し、総理府に入省、その後男女共同参画局長、日本人女性初の総領事、埼玉県副知事、と輝かしいキャリアを重ねて来られた。
これまで官僚としてずっと女性の地位向上に取り組んで、新たな制度作りに尽力された。
退官後は教育の現場に関わり、昭和女子大学長となり、社会を支える強く、賢く、美しい女性となれと発信して来られ、現職となられている。
著書も「女性の品格」は300万部を超えているというから読まれた方も多いのではと思う。
一貫して問われているのは、社会の在り方や、昔から大事にされてきた人としての在り方のように思う。それは今の、TwitterやSNSで相手を貶めたり非難したり、社会を分断したり、相手の怒りをあおったりと言った世界的な傾向とは少し違う。
例えば、本の中で、「怒りをすぐに顔に出さない」それは、「本当の怒りは感情に任せて爆発させるより時間をかけて、冷静に、いつ、どこで、どう豹変したら一番効果があるのか、考えて怒りましょ」「そうした怒りが、相手にとっても実は一番恐ろしいのです」とのこと。
また「利害関係のない人にも丁寧に接する」とも書いておられるが、本当に本質をついていると思う。
そして自分で自分の主になれとも言っておられる。
こういった深い思慮があったら、人との関係はもっと穏やかに、平和なものになるのにと感じた。
今年また、「70歳のたしなみ」を出版された。ひとことで言うと、もう70歳だから、と自分を貶めるのではない生き方をしようとの提言である。
ある意味自分にとても厳しいけれど、最も自分を尊重している言葉であり、自分が誇れる自分であろうと呼び掛けているように思えた。
最後に今大切にしている言葉が、「和顔愛語・・・(わげんあいご)」
どんなにお金が無くても、お金が無くても人に与えることができる穏やかな顔、相手を思いやることができる、相手のプラスになるような言葉を出すことができる、という意味だそう。
本当にこんなふうに出来たら、こんなふう生きられ、年を取れたら、人幸せだとしみじみ思う。でも、そうなりたいけれど、どこかで引っかかってそうなれない人もいるのも事実。
私自身も、目の前の1日を噛みしめて生きたいと感じた。
「怒り」については、常識的には坂東さんの考え方は大賛成だ。しかしカウンセリングでは「怒り」はもっと複雑だ。機会があったら怒りについて書いてみたい。
2019年6月23日
NHKの番組、「ドキュメント 72hours サバイバルゲーム」を見た。
番組が始まった瞬間は、引いた。
見始めてすぐに引き込まれた。
いわゆるサバゲー。大勢の人々が拳銃片手に戦争ゲーム。敵、味方に分かれ、時間内で何人倒すか競い合う。もちろん本物の銃でなく、玉はビービー弾。皆真剣。
玉に当たったかどうかは自己申告。見ていると、皆極めてフェア。当たるとさっと手を上げて、「当たりました」と脱落していく。勝つためにチームワークを大事にし、サバゲーの中での人間関係を大事にしているようだ。我が、我が、と相手を蹴落とす人は見えない。
1人ひとりのインタビューを聞いていると、皆真面目。そしてどちらかと言うと内気。普段は静かで、コツコツと仕事に取り組んでいる人が、サバゲーの中では真逆にアクティブに、飛び回って銃を撃つ。全く別人のようだ。
最後の方で映っていた、中学と高校の姉妹。普段活発な姉は静かな参加。普段引っ込み思案な妹は積極的参加。
こうやって人はバランスを取っているのかもしれない。一般の社会の中ではなかなかアクティブにであったり、主張することが無くても、そうしたい気持ちが無い訳ではないのかもしれない。
観ていて何だか無性に悲しくなった。
2019年6月11日
有名な「アルプスの少女ハイジ」は、以前のテレビアニメでしか知りませんでした。
今、NHKテレビの、100分de名著で取り上げています。
原作の物語は、アニメで知っていた時とは大きく違う印象です。単純な物語でなく、ハイジの人格形成や、成長にとって大事な経験や、ハイジやハイジを取り巻く人間がとても深く描かれていて、本当にそう、と見ていて深く感動することが多いです。
第2回放送。
ハイジがアルムにいるペーターのおばあさんに、白いパンを持って帰りたいという思いを絶たれたて絶望した時、絶望したハイジを救ってくれたのはクララのおばあさまでした。
クララのおばあさまに、神様になら何でもおはなししていいんだよと教えてもらい、一生懸命お祈りをし、元気を取り戻しますが、しばらくするとまた元気がなくなります。元気がなくなったハイジにおばあさまが聞くと、
ハイジは
お祈りしたけれど、すぐに叶えられなかったから祈るのをやめちゃった、と言います。
その時おばあさまは、こう言います。
「神様はあなたにひつようなものがちゃんとわかっていらっしゃるから、きっとこうお考えになったのよ。
『うん、ハイジには、祈っているものを与えてあげよう。
でもそれは、あの子にとっていい時期、それを本当に喜べる時にしよう。
だって、今わたしがあの子の欲しがっているものを与えてしまったら、あの子はきっと後になって、願いがかなわないほうがよかったと気づくだろう。
そうしたら、あの子は泣いてこう言うだろう。神様がわたしの求めたものをお与えにならなければよかったのに!
これはわたしが思ったほどいいものじゃないわ、と』
そうやって神様は、あなたが神様をちゃんと信頼して、毎日そのみもとへ行き、お祈りして、足りないものがあるときにはいつも神様を見上げるかどうか、見ておられるのよ」
その後また、ロッテンハイマーさんに、言われたことで心を閉ざしたハイジの様子を見てすぐに、夢遊病で、深刻なホームシックに苦しんでいる、と分かってくれ助けてくれたのがクララの主治医、クラッセン先生でした。そして故郷に戻れることになりました。
子どもが成長する時、いくつもの大小さまざまな危機に遭遇していきますが、そのときに、周りの大人が手を差し延べてくれ、見守ってくれたら、危機を乗り越え、健やかな成長を遂げられるでしょう。
周りにこういった大人がいる子供は幸せです。殆どの人はそうでしょう。
中にはこういった手を差し延べてくれる大人がいない場合が虐待でしょう。
子どもに限らず、大人も、人生の中でいくつも危機を迎えます。そのとき、手を差し延べてくれる人がいれば、苦しくても乗り越えられるでしょう。
危機に陥るのが人間関係のこともも多いですが、救われるのもまた人との関わりのことも多いでしょう。
そんなことを感じながら、楽しみに番組を見ています。
安達祐実の朗読が胸を打ちます。実に上手くて、朗読を聞いているだけで胸が震え、涙が込み上げて来そうになります。1人、1人の人間がリアルに目の前にいるようです。
本を読んでみたくなりました。