多様性

2020年1月4日

2020年が始まり、新しい年となった。

1日の新聞に、生物学者の福岡伸一さんと、保育士ライターのブレディーみかこさんの対談が載っている。その対談は、「多様性って何だ   誰も否定されないこと」。

 

対談の中で印象深かったことは、福岡伸一さんの生物の多様性についての話だ。

 

 

一般には、「生物多様性」は、ライオンとか象といった数多くの「種」が存しているこ示しているが、実はひとつの種の中に多様性が存在することも、その種が生き残るために不可欠である。何百万年といった生物界の長い時間軸の中では、いつ突然、環境が激変するかわからない。そのとき、ひ弱そうな個体の方が生き延びるかもしれない。種が生き延びるためには、個体のバリエーションが豊富な方がいいという多様性が必要。

アリには必ず2割程度、忙しいふりをしてサボっている個体がいて、この2割を取り除くと、残りの勤勉なアリの2割がまたサボりだす。何故なのかはいろいろな説があるがよく分からない。平たく言えば「変わり者」を多く内包している社会の方が実は強靭だと示唆してくれている。

 

生物学における多様性は、何百万年、何億年単位の話で、人間社会の多様性に目を戻すと時間の射程が短すぎると感じる。「多様な人材でイノベーションを」といいながら、結局は効率的に売り上げを最大化しているだけで、自分の利益のことしか考えていない。

真の多様性とは違う者の共存を受け入れるという、言わば利他的な概念である。

 

 

私が一番感動したのは、次の記述だ。

 

 

食うか食われるかの生物の世界にも、利他的な関係性が見える。植物は自らが必要とする以上に葉を作って光合成をし、その落ち葉で微生物が増え、葉や木の実を食べて虫や鳥は命をつなぐ。もし植物が自己の必要量しか光合成をしなかったら、他の生物は存在できない。

 

 

 

 

世界に目を転じると、「公正さ・公平さ」より自国ファーストといった考えが席巻しているように感じる。とても多様性とは言えないが、数十年前には考えられなかった急激な世界中の交流が増え、転換期で混乱しているのかもしれない。宇宙の長い時間で考えると、今はそういった流れはほんの一瞬のことかもしれない。

しかし、そうはいってもその中で私達は生きて行かなければならない。

1人1人をみると、自分の利益優先の流れの中で競争にさらされ、その流れと自分の流れが合わずに、生きづらさを抱えている人もいるように感じる。そういうときはどう生きるか。

その流れでなくてもいいと思えれば幸せかもしれない。それが多様性につながるのではないかと思う。